降り注ぐ朝の陽に誘われて、瞼をそっと開く。窓を開けたまま眠ってしまっていたのか、朝方の露を含んだ少し冷たい風が、悪戯に髪を撫でて逃げていった。軽く息を吸うと、ずっ、と鼻の奥が詰まった。風に当てられて、風邪でも引いただろうか。確かめようと額に手を伸ばして、気づいた。……ああ、自分は、泣いていたのだ。と。

 
右から左へ流れていく、車窓の景色をぼんやりと肩肘を立てて眺める。
車内には、スリーライツの曲が静かに流れていて、もうすぐサビに入ろうとしていた。少しくぐもった自分の声が、君を抱きしめたいと歌っている。
(君を抱きしめたい――……君の香りをずっと)
頭の中で歌詞を反復していると、「ねえ」と声をかけられた。その声に、右隣に少し顔を傾ける。白い肌に小さな顔。ふわふわの白色がかった髪。その可愛らしい容姿には少々挑発的すぎる、釣りあがった大きな瞳が自分をじっと捉えていた。口元が、少し不機嫌そうだ。
「なに?」と返事をかえすと、彼は「なにじゃなくってさぁ」と呆れた様子で、あてつけるような大きな溜息を漏らした。
「さっきから星野、自分が何回溜息ついたか、わかってる?」
言われて、首を傾げる。「わかんねぇ」と首を振ると、更に呆れを含んだ溜息が漏らされた。
「二十だよ、二十! よくもまぁそんな数の溜息ついて、無自覚でいられるよね」
信じらんない、と責められて、星野は「ごめん」と小さく呟いた。
「まぁまぁ、夜天。そうむきに責めなくとも、星野は少し疲れているだけですよ」
少し静かになった車内に、落ち着いた声と、ぺらりと紙をめくる音が響く。顔を一番右の奥に向けると、大気がスケジュール帳をめくりながら、何やら思案している様子だった。
「最近、随分とスケジュールが立て込みましたからね。今日も本当は、学校に行くよりも体を休めるべきかとも思ったんですが……」
そうこう言っているうちに、いつの間にか窓の外には、十番街高校の正門が佇んでいた。その門の前では、朝から随分と大勢の女生徒で賑わっている。中には別の高校の制服も混じっていた。朝から暇なものだ。肩口から顔を覗かせた夜天もそれを見て、うげぇっと顔を顰めた。綺麗な顔が台無しだと言いたかったが、多分自分も今、相当の嫌悪が表面にあらわれているだろうから、言えなかった。隣で夜天が、「ねぇやっぱり帰ろうよ大気」と交渉しているが、大気は嫌々ながらも首を頑なに横に振った。
「テスト週間が近いから、校長直々に学校に来るようにと言われたんです」
「俺達にテストなんて関係ないじゃん!」
と最もな意見をしている夜天を尻目に、俺は諦めの溜息を漏らす。がちゃりと車の扉が開けられて、運転手が仰々しく「お着きになりました」と礼をした。
「ああ、どうも」
儀礼的に挨拶をして、車から降りる。途端に、女生徒たちがわっと群がってくる。
同じく諦めた顔で、夜天と大気が降りてくる。運転手が挨拶も程ほどに帰っていく。障害物の無くなった背後にここぞとばかりに何人かがまわって、一気に自分達を取り囲むように、ひとつの楕円ができた。この素晴らしい連携プレイを、彼女達は一体どこで身につけたのだろうか。次々に伸ばされる握手を求める手や、色紙、フラッシュのオンパレードに、正門から中に一歩も進めない。おまけに昨日から朝からにかけての疲労感で、苛立ちが一気に加速していく。
「星野くぅん、付き合ってぇ!」
ふと飛んできた言葉に、目線を流す。途端に耳をつんぐさす甲高い声があがった。あたしを見たぁ、とか、何いってんのあたしを見たのよ、とか。この人の山で、誰がさっきの言葉を放ったのかさえ分からない。どうでもいいけど。
夜天も大気も四苦八苦しているのか、「やめてください」と拒否する声が聞こえてくる。
だがいい加減めげない彼女達に、胃の底から何かが弾けて、喉仏にかけてまでぐんっと昇るのを感じた。頭の中が一瞬真っ白になる。
「いい加減にしろっ!!」
やばい、と思った頃にはもう遅くて、気がついた頃には叫んでいた。ハッと我に返る。
周りを見渡せば、ファンの子達は一様に、眼を大きく見開いて固まっていた。後ろの夜天と大気を振り返れば、彼らも同じように驚いた様子で俺を見ている。
「あっ……と、その……悪い。お願いだから、通してくれないか……」
何だか情けない気持ちを胸に押し込めながら、腕を前に伸ばすと、意外にも素直に女の子達は道をあけてくれた。だが、その表情は暗くて、悲しんでいるようだった。申し訳なかったが、何と声をかけたらいいかもわからず、前に進む。夜天と大気が、慌ててかけてきて、俺の少し後ろを歩く。
「なぁ、星野……」
ふとかけられた夜天の声に、思わず立ち止まって、振り返る。突然の事に驚いて、俺を見つめるふたりに「あのさ」と勢いのまま喋りかけた。
「俺、ちょっと行きたいところあるから、先に行ってるな。わりぃ!」
じゃなっ、と手を振って走り出す。星野っ、と呼ぶ声が聞こえたが、その声さえも振り切って走った。―――目指す場所など、無いくせに。


錆び付いた扉を押すと、僅か数ミリ動いただけで、すぐに鉄の鎖に侵入を拒まれてしまう。
何度か強く押してみたが、反抗ばかりしてくる扉に疲れてやめた。溜息を吐いて、階段の段差に足を置いて、座る。何となく、思いのまま来てしまったら、ここに辿りついた。
ここは学校の中で、空に一番近いはずなのに、暗くて埃臭い。階段の踊り場には、使われなくなった体育用具やガラクタが隅に詰まれていた。
溜息を吐いて、手すりに頭をもたれかける。そっと瞼を閉じた。瞼の裏に、頭の中に、闇がぼんやりと浮かぶ。その闇の中に浮かぶのは、今朝の事でも、大気や夜天の事でもない。
考えるのは、昨晩みた、夢のこと。

―――……どうして。

どうして、あんな夢なんてみたのだろう。夢は願望を表すという。そんな道理は大嘘だ。何故自分があんなことを望むというのだろう。むしろ、その反対を望んでいるのに……。
ぎゅっと堅く眼を瞑る。神様が俺に諦めろと言っているのか? そのための、見せつけか?
考えているうちにも浮かんでくるビジョンを、頭を振って消した。だが、どんなにもがいても、それはべったりと脳裏に張り付いて離れない。
「………やめてくれ」
夢に見たふたり。片方は男、片方は、愛しい女の子。抱き合って、笑って。ありったけの愛情を名前にこめて、呼び合って。
「………もう、見たくねぇんだ……っ」
男が愛しい人の首筋に手をあてる。腰を抱く。顔を近づける。その先は―――、
「やめろぉ!!」

「………星野!?」

聞こえた声に、ハッと顔をあげると、階段の下に……彼女がいた。嬉しさよりも驚きで、どうして、と思わず口に出す。するとうさぎは少し困ったように笑って、「だって」と言った。「朝、学校にきたら、あんたいないんだもん。夜天君たちに聞いたら、朝から様子変だったって聞いて……心配になって、思わず探しちゃったじゃない」
もう、と強い口調で言う彼女の顔は、まるで怒っていない。すぐににっこりと笑って、階段をとんとんと上がってくる。そして、ちょこんの自分の隣に腰掛けた。それだけで、胸の奥がきゅうっと締め付けられる。思わずうさぎから眼を逸らす。
「っていうか、やっぱり屋上にいたんだねぇ。星野らしいっていうか。やっぱあれだね、バカと星は高いところがお好きってやつだね」
けたけたと笑ううさぎに、「それを言うなら煙だろ馬鹿」と返す。それに対して反論がくるかと思ったら、うさぎはじっとこちらを見つめてくるだけだった。居心地が悪くて、眼をそらしながら「なんだよ」と少し不機嫌に返す。
「あのさぁ、星野」
かけられた声に、ん?と首を傾げる。すると、突然、うさぎの手が頬を捉えた。心臓が激しく脈打つ。情けなくも、身体が震えた。気づかれたくなくて、何とか逃げようと、うさぎの手に自分の手をそえる。
「なんだよ、お団子。色気づいて……俺の魅力に、やっと気づいたのか?」
そういって茶化しながら、手を外すつもりが、うさぎの手は離れようとしない。柔らかく掌と頬の間に指を差し込んでみたが、それでも頑なに手はついたままだった。
「おい、ほんとにどうしたんだよ、お団子……離せって」
「いや」
きっぱりとした拒絶の言葉に、驚いてうさぎを見る。目と目が合わさると同時に、強張っていたうさぎの顔は、みるみる嬉しそうに綻んでいった。
「星野、ようやくあたしの目、見た。よかったぁ」
その表情に、言葉に、胸がどんどん焼けるように熱くなる。その一言に、その表情に、嬉しくなって、哀しくなって、息が詰まる。どうして、こんなに愛しいんだろう。どうして、こんなに好きになってしまったんだろう。どうして、お前には、届かないんだろう。
「嫌われたのかと思ったよぉ、もう」
「ばぁか……嫌わねぇよ。ばか」
「あっちょっ、いま二回もばかっていったわね!?」
言ってねぇよ、と返すが、うさぎは納得いかないようで言った言ったと主張する。しかたないので肯定したら、「やっぱ言ったのねぇ!」と今度は騒ぎ出して、「じゃあなんて言えばいいんだよ」と言うと、うっと言葉につまる。一生懸命言葉を探して頭を捻るうさぎの様子に、自然に緩んだ口から、うっかり笑いがもれてしまった。また怒声があがる。
「星野、いま笑ったでしょ! もう、せっかく心配して来てあげたのにさ…っ」
ふて腐れるうさぎの頭を、ぽんっと叩く。
「わるかった。サンキュ」
そう言って微笑むと、うさぎはしばらくぽけっとした様子だった。暫くして再起動すると、慌てたように「きゅ、急にそんな素直になられると、調子狂うのよねぇ」と文句をたれる。
なんだかそれさえも笑えてきて、しばらくくすくすと笑っていると、へそを曲げてきたらしく「ふん」と顔をそむけてしまった。
ごめんって、と言おうとして、ふと彼女を見る。思わず、笑みが消えた。
うなじに、汗が光っていた。そういえば、いつも綺麗にまとまっている髪も、今は少し乱れている。もしかして、と思う。もしかして、ずっと走ってくれていたのだろうか。俺の姿を、存在を、心配して。この広い校内を走って、探してくれたのだろうか。
「………なぁおだんご。走って、つかれただろ……?」
「あぁ、まぁねぇ……って! あ、いやいや、全然走ってないから! なに言ってんの星野、うぬぼれないでよ、なんであたしがあんたのためになんか」
「俺のこと、ずっと走って、探してくれてたのか?」
じっと眼を見つめて、問いかける。うさぎは言葉に詰まったのか、ああとかいやぁとか曖昧な返事をあげている。だが、それで十分だった。おだんご、と呼ぶ。はいっと背筋を伸ばして固まる彼女の背中に手を伸ばして、肩に顔を埋めた。
「…………ありがとう」
多分、すごく情けない声だった。泣きそうになるのを堪えて振り絞った声は、震えていて、少し鼻声だったと思う。それでも伝えたくて、格好よりも、気持ちを選んだ。
「星野………?」
「ほんとに、サンキュ……うさぎ」
ぴくん、と身体が震えるのが伝わってくる。合わさった胸の右側に、うさぎの心臓の鼓動が伝わってくる。なら、きっとうさぎの心臓の右側には、俺の心臓の音が届いているんだろう。そう思うと、素晴らしく心地よかった。ふたつの身体が、ひとつに合わさったような……満ち足りた思いが心を埋めていく。
ほんの少し、拒絶されるのではないかという恐怖心もあったが、うさぎはじっと俺に抱きしめられていた。その腕が、俺の腕に回されないことに多少の寂しさもあったが、今はそれで十分だった。

「………な、お団子」
「………………ん?」

キス、していいか。と。聞きたかったが、言わないことにしておいた。

「なんでもねぇわ……忘れて」
「なによそれ……」

今はこの温もりだけでいい。隣に、いるだけで、いてくれるだけで。俺はそれで、いいんだ。きっといつか手放す時がくる……はなれるときが必ず……そのときは、ちゃんとこの手を離すから。だからその時まで。その時までの、間だけ。俺が星野光でいるときだけ。
どうか、どうかお願い、神様。束の間だけ愛させて。彼女を愛する人から、彼女と俺を隠して。彼女が愛する人を、少しの間だけ、隠して……。
別れがくる、その時まで――――どうか……、

 

どうか神様、そばにいさせて。

 


「……そろそろ、教室、戻るか」
「あ、うん……」
そっとほどいた腕の間で、頬を染めて俯くうさぎの腕を掴んで、耳にそっと囁く。
「また、ここにこような……お団子。みんなには、内緒で」
途端に耳たぶまで赤く染まる姿にくすっと笑うと、うさぎは突然立ち上がった。
「は、早く教室もどろっと、みんなきっと心配してるしっ」
口早に言って階段を一気に駆け下りていく。ちぇ、と舌打ちをして後を追う。
ようやく追いついて、一緒に渡り廊下を歩いていく。不意に、うさぎがぽつりと呟いた。
その言葉に思わず足を止めそうになったが、慌てて歩き出す。ふやけていく顔がばれないように口元を覆いながら、窓の外を見やった。気づかなかったが、今日はずいぶんといい天気だ。放課後になったら、うさぎを誘ってどこかへ行こう。
そんな事を考えながら歩く廊下に、終業のチャイムが、ゆっくりと鳴り響いた。


―――――……たまになら、いいよ。


 


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シズさんから頂きました、星うさ祭り小説です!!甘酸っぱい切なさ、刹那的な幸せ・・・これぞまさしく星うさ・・・!(悶絶)
苦悩する星野って色っぽいですよね・・・(笑)憂いを含んだ星野の顔が浮かぶようでたまりません・・・!うさの可愛さもなんというかもう・・・星野の気持ち、超絶理解!(笑) ああ、もうそこでキスしてしまえーーー!!と悶えているのは私だけではないはずです!!
この切なさを含んだ甘さ、本当に大好物です。シズさん、本当にありがとうございました!

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